2017年03月21日

智崇院に永代供養をお申込み頂いております皆様へ

智崇院に永代供養をお申込み頂いております皆様へ

 本日 9:00〜より 
   ・当院でお墓をお持ちの方
   ・お骨を預けておられる方
   ・永代供養をお申込みの方
   ・合祀墓へ埋葬された方
   ・智崇院が有縁となり預かったお骨

の永代供養を行いました事をご報告いたします。

   各故人様へ
    表白 神分 祈願文 理趣経 般若心経
    光明真言 宝号 回向文 のお勤めをさせて頂きました。

また、衆宝観音様(合祀墓)及び山王の地域住民様よりお預かりして
おります、咳払地蔵様 立春地蔵様のご供養を

     ・理趣法 並びに 理趣経

にて行いました事をご報告いたします。

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posted by ぽこ at 16:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

祈りは世界を平和のするのか?-2

こんにちわ。智崇院 喜連川です。

よく源氏名ですか?と聞かれます。
断固として 芸名ではありませんとここに宣言致します。

今回 少し小難しい事をだらだら書いておりますが
実はこの投稿で99回目になります。
100回目 少しくらいはまともな事をかかないとなぁ・・
と思い、伏線から書き出しています。

さて、前回触れた仏教的ではない性善説。
といっても中国思想やら儒教思想やら仏教思想やらが
ごっちゃごっちゃになってジャパニーズ仏教になっている
日本なのでこれも仏教的にとらえてしまうには困ったものです。

前回触れた朱子について 少し書いておこうかと。
この朱子さん 平たく言えば
「心には 絶対部分と環境によって変わる部分があって
この絶対部分は善なんだお!でも月を隠す雲のように
その善の部分を隠してしまう心の部分もあるんだよぉ!」
と言う事らしいです。

なるほど しっくりきます。
日本の仏教文化的な考えで 水子の供養は必要ない。
なぜなら世の中に出て穢れていないからと言う理屈も
まかり通る訳ですね。

流石は完成された理論であるだけにこの方程式に
あてはめると、色んな事が便利に説明出来てしまいます。

ここで少し例を出します。
生活習慣病があります。 
いつもやりたいように 心の赴くがまま 
欲望のままの食事や生活を行っていると体が段々
悪くなりますよね。

栄養バランスを考え、
適度な運動を行い、
仕事と生き抜きのバランスを考え
と言うわけなのですが、ここで良く使われる表現は
バランスです。

同じく生活習慣病が体に色々な影響を及ぼすように
心にも及ぼすとは誰も考えないのでしょうか。

身体が自律性を以て強くなる部分もありますが
限度を超えたら体も病んでくるように
バランスを失った心は一定の疲弊を人にもたらしますが
そこから学ぶものもあるうちは良いですが
限度を超えると病んできます。

ここでいうのは
善と悪の間のバランスではありません
微妙に言い方を変えますが
通説的に許容されるであろう善と悪のバランスです。
意味合いとしては 悪を知る為の善と善を知る為の悪は
一定の範囲で許容されて世の中に浸透されていると言う意味です。

次は100回目になります。

                         喜連川

posted by ぽこ at 15:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月28日

祈りは世界を平和にするのか?−1

こんにちわ。智崇院 西成分院 喜連川です。

先日仏壇のお魂入れを行う為にある家にお邪魔した時に
「お経を言うと救われるのか?」と聞かれました。
私は救われません。と即答致しております。

もう題名と言い、この上のやり取りと言い
毎度 ろくなことを言いません。大変申し訳ない。

実際私は 祈りで世界なんて救えるか ばーか ばーか
と思っていました。
ここ1年ほどでしょうか。緩やかではありますが
平和になるかもなぁと思えるようになってます。

何も考えない行動と心から思う行動。
そして無意識のうちで心の籠った行動。
行動にも幾分かのジャンルがあります。

そのジャンルには宗教により提供されたものなのでしょうか。
確かに人は元々動物ですので人としての倫理を備えるまでの
過程で宗教の力が必要であったと言うのは通説的な考え方だとは
思うのですが、

 単純に 人間出来た人はいつの時代にも居たんじゃないの?
と思っています。

そう考えるのであれば 動物が動物を思う気持ちと言うのは
動物の集団にもあり、人も同様なんでしょうね。なんて考えたり
する訳です。

脱線しましたが、祈りや相手への博愛や親愛の情又は
規範的行動も踏まえ、それらは宗教や哲学、倫理がもたらした
ものではなく、元々人として持っているものなのでしょう。
と考えていくわけです。

あぁ性善説かぁと自分でぐるぐる考えてて
そこに行きついてしまった訳ですが、この性善説も性悪説も
宗教と結びつきやすい一面を持っているんでしょうけど
宗教が結び付けに行っただけで単体でも価値観として十分
成立しうる要素なんじゃないかなぁと考える訳です。

では この性善説 孟子さんが色々を述べてますので簡単に
WIKIよりご紹介をしたいと思います。

孟子の「性善説」とは、あらゆる人に善の兆しが先天的に
備わっているとする説である。善の兆しとは、
以下に挙げる四端の心を指す。なお「端」とは、兆し、はしり、
あるいは萌芽を意味する。

惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
羞悪…不正を羞恥する心
辞譲…謙譲の心
是非…善悪を分別する心

いかにも日本の道徳に影響を与えてきたかがよく分かります。
俗にいう「よくできた人」と言う人に分類される方々は
その四端をよく理解してる人が多いと言う事も言えるかもですね。

んじゃ因みに性悪説は?と考えると面白くもないので
孟子の性善説をレベルアップさせた朱子の「性即理」について
次回は触れたいと思います。

                       喜連川
posted by ぽこ at 15:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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