2017年07月27日

難題:リレーションシップ

こんばんわ。智崇院 西成分院喜連川です。

リレーションシップとはデータベース同士を結びつける事です。

はい???????????????????
って話ですよね(笑

ええ、昨日 夜中の11時前までおじさんの話を
貪るように聞いていました。質問も沢山しました。
本当に面白く楽しい時間でした。

親父の主観から聞いていた 喜連川史実と
おじさんから聞く 喜連川史実 
微妙に違うんですよね。

そりゃそうでしょう。人には主観がありますし、
家の史実などは 意識して努めて客観的に考える
ものでもないのでしょう。

じゃぁ、夫婦喧嘩も 友達同士の喧嘩も組織内の喧騒も
同じことが言えるのかもしれませんね。

主観と言うものは非常に面白く、一つの世界観を形成します。
これが良くできた御仁であればあるほど、壮大な世界観を持つ
訳ですが、面白いのはその壮大な世界観は俯瞰的ではないと言う事です。

俯瞰とは客観的に全体像をとらえると言う意味で今は引用しておりますが、
論文のような広大な世界観を持ってる人もある意味退屈な人間なのかも
しれませんね(笑

何が言いたいか。
ある史実を知りたいなら出演者全員の主観を集めなければ
「ある程度」完成された史実は見えてこないと言う事です。

余談ですが、
私の叔父は非常に優秀な人と改めて実感したのは
客観的に色んな視点から慎重に史実を話されていた事でした。
本当に一つの言葉を慎重に選んで話をしていましたねぇ。
伝える事の難しさを凄く伝えて頂けました。

いろーんな喧騒にせよ、
その喧騒の本質を知ろうと思うなら、その喧騒に関わったある一定
数の方々の意見を聞く迄、その喧騒への評価意見は慎重に行わなければ
ならないと言う事でしょうか。

10人いたら
10人の情報量(データベースとしましょうか)を
色んな価値観を投げかけて情報を集め、結合させていき、
一つの世界観を形成させなければならないと言う事です。

ただここで愉快に感じる、 うーんこれが仏の試練なのかなぁ
と思う点は
「色んな価値観を投げかけて情報を集め、結合させていき」
の部分が 結局はその人の主観になる恐れがあると言う事ですよね笑

その時にこの「色んな価値観を投げかけて」の部分が
どれほどの大項目的な見解で解釈出来るかにかかっているのでしょうね。
これが小さい事象での価値観で情報を集めると統制が取れる
情報体を形成できなくなるのでしょうね。
そのような意味で考えると大局的に情報を結び付け、
丁寧にミクロに落とし込んでいく事が出来るか否かなのでしょうか。

皆様は 喧騒に合う
       参加する
       巻き込まれる
    喧騒の当事者になる。

そんなときに 自身の判断する基準を何に持ちますか?
その情報量に注目していますか?

その情報量が少なく喧騒と対峙すると言う事は

法律も知らない中で裁判に関わるようなものです。
食事の内容も知らずにレストランに入るようなものです。

内容も知らないゲームを購入するようなものです。
うーん 
自身の服のサイズも知らないのに服を買いに行くようなものです。
(もういいか笑)

自惚れないようにくださいな。
あなたの知り得る情報量等は所詮一人の情報でしかないと言う事を。
と叔父さんに教わりました。

ありがとう。叔父さん。
ありがとう。みなさま。

                      喜連川 拝

posted by ぽこ at 00:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

1割増しの優しさ

こんばんわ。智崇院西成分院 喜連川です。

優しさって何なのでしょうかね。
昨日から今日ほど考えた日はないかもしれません。

一般的に使われる優しさって
嫌な言い方ですが、「都合が良ければ」
その人は優しいと言う形容詞で呼んで頂ける事が
多いように思います。

だけど、それを言っちゃぁ身も蓋もない訳で、
なので大人な会話となると、
「相手の事を考えて何をすべきを教えてくれる」
「誤った道に進まないようなアドバイスをくれる」
少々辛口ですが、アドバイス等を聞く気もない人
でも上記のように「優しい」と言う言葉を説明しようとします。

ですが、上記のような説明を使い、尤もらしい言葉を
並べ立てたところで結局は
「自身の時間を初めとして何らかの対価を二人称又は三人称
の人に使う事」で、そこに自身の利益を求める割合が
その二人称、三人称の人たちが思っているより低ければ
優しさは成立すると考えております。

優しさって評価だったのか。と改めて感じました。

でね、先ほど述べた「自身の利益を求める割合」
これがね、0だったらどうなんだろうか。

純粋に自身の心なのに、完全に相手の事を考えてしまって
全ての行動の優先順位が相手になっている。

うーん、上手く言えないんだけど、人の領域を超えて
しまっているような気がします。

実は そんな良くできた御仁の葬儀を今日行いました。

その優しさに触れた方々が今より1割増しの優しさになり
良い因果を生み出してくれたらなぁと思いました。

今日の葬儀に関わらず、
葬儀に参列なさった方が遺徳を偲び〜と思って頂けるのであれば
その故人様の遺徳を少し真似て頂けると幸甚です。

最後に、本当の優しさって慈悲なのかも知れませんね。
本当の優しさって、
意識下で行われるものではなく、無意識で行われるもの
なんだろうなぁと学ばせて頂きました。

無意識で困ってる人に手を差し伸べれるように
頑張って行こうと気づかせてくれた 大生さん

本当に有難う。そして、ご冥福をお祈りいたします。

                  喜連川 拝


posted by ぽこ at 00:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

祈りは世界を平和にするのか?−3

いや〜 さぼり倒しておりましたね。
ご無沙汰しております。智崇院 喜連川です。

ええ、ブログ更新しないんですか?と聞かれる度に

「あ・・忘れて・・・・//」と内心おもいつつ
「ええ、何かをバタバタしておりまして」と
嘘をついておりました。大変申し訳ありません。

お坊さん 嘘ついていいの? お坊さん 保身ダメじゃん?
と言われればご尤もで御座いますので、将来 舌を
抜かれてきますのでご容赦下さいませ。

さてさて、100回目もまぁ よーく頑張ったなぁと
思う訳です。

さて 早速ですが続きを書いていこうかと思います。

良い人だから 良い事が起こると言うのが仏教の言いたい事であるか?
これ、一部間違いがあると思うんです。

正確には 良い人だから、悪い事が起こっても良い事と考えられる
思考ロジックがあり、常に不幸と考えない思考となる。
これが宗教的には近い答えなんじゃないかと思います。

では 悪い人は どうすればよいのか?
その人の為に 祈ればよいのか。
その人を入信させればよいのか。
その人にツボを買わせればよいのか。(まてぃ)

この部分に関しては祈ってもどうにもなりません。

朱子学的には、悪い人は 悪い心を持っている訳ではなく、
悪い環境にいるだけなのだ と言う解釈になっていた筈?なので

その人の環境をどうにかしてやらなければその人は悪い人から
卒業できない訳です。

例を示しましょう。

 ・塾に入れただけで管理もすべて塾任せ。運は神仏だのみ。
 ・親の仕事はギャーギャーいうだけ
 ・家で最低限の勉強に対する姿勢を見ずに、自身は下手すりゃ
  家にも居ない。
 ・学校の宿題・塾の宿題なんて関知せず。

と言う親御さんが勉強が出来ないんです。 
と言われて受験に合格できるように祈願してください。
と来られました。

そりゃ環境に自身で構築できる能力があれば
その子供自身の意思や意識で勉強に学業成就に向かって
行くと思われますが、その子にその能力が無い場合は
環境を整備してやらなければなりません。

その環境を整備するのは親御さんな訳ですが、
整備する気なんて毛頭無い方であれば当然ながら
お子さんの学業成就なんて夢の話になる訳です。

これが 祈っても世界なんて変わるかっ バーカと
想った所以ですね。

でここ1年間 祈りで世界が変わるかもしれないね。
と思う事 これは その祈りにより自身を顧みて、
・自分が成就する為に出来る事を考えるだけの謙虚さ
に気づく事が出来る。そこから
・今日 家族が居てくれた事への感謝
・今日 自身が居てくれた事への感謝
に繋がっていくなら、自身を取り巻く環境
相手を悪としてしまう、その環境を変える行動力に
繋がっていくのではないでしょうか。

1人 10秒のプレゼント。
長い一日の中で全世界の方が10秒誰かの為に時間を使えるなら
世界はもっと変わるかもしれない。

世界国別上位3位迄の労働人口の総和は約14億7千万人
それぞれが祈り自身を顧みて、人の環境を見た際に
10秒が60秒になれば  2,450万時間の親切に換算され
これを金額(時給1200円程度)に換算すると約300億円となる。

仮に祈りの効果により、上記の人が1時間ボランティアを行う
だけで、約300億円の人助けの原資が出来ると言う事になります。
もう おらに力を〜〜〜!の悟空的なノリですね。

少し内向的な見方であるなら
祈りにより、いつも機嫌の悪い両親が機嫌よく
子供の前でいるならその家はどんどん和んだ家になる事でしょう。

大切な方がお亡くなりになったショックが
余りに大きい為に、供養を通じてその日の生きざまを
見失わないように、また逝去なさった方をご供養させ頂いておりますが

本来宗教とは、
「その日をどのように過ごすのか?」を問うものです。

祈る対象など なんでも良いんです。
正確には 初めは なんでもよいんです。

太陽の御蔭で ごはん食べて今日も生きていられる ありがとう。
でも良いんです。

その内、自身の考え方に合う教義を持つ宗教と出会えたらなら
その宗教のご本尊様に自身の考えを投影しながら感謝と
生きざまを構築なされば良いかと。
(※菩提寺様がある場合は菩提寺様を大事になさって下さいね)

祈りとは 心の整理です。
平和とは 調和のとれたバランスです。

その日があっというまに終わったなぁと、感じる事が多いのは
ある意味良い事かもしれません。

ですが、掃除をしなければ塵がつもる事と同じで
少しづつ 自身の気づかない間に心に塵がつもります。

知らない間に自身の環境に自身の心が染まってくることもあります。
だからこそ、何かに祈る心を持ち、心を整理してほしい。
別に神社仏閣に足を運ばなくても良いんです。

良き環境は自身で作りだせます。
(舌を抜かれないように頑張ります)
                喜連川
posted by ぽこ at 19:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする