2016年02月29日

智崇院 読み方

こんばんわ。智崇院 喜連川です。

今日、何気に西成別院の寺院番号を失念して
智崇院 と検索をかけたところ、

グーグル先生の候補に 智崇院 読み方
という検索候補が出てまいりました。

「ち そ う い ん」 と読みます。

今まで気づかずに大変申し訳ありませんでした。

              喜連川 拝
posted by ぽこ at 18:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

検証中。

こんにちわ。智崇院 喜連川です。

 仏様っているの?と言われる事があります。
  僕はいると思わなければ寺にいませんよ。
とお答えする訳なのですが、

  皆様は非常に優しい方ばかりなので根拠は?
とはお尋ねになりません。

なので僕は身を持って検証してみようかと思い
もうそろそろ10年になります。

どうやって証明しようか・・。と当時考えていた訳ですが

1、寺院が布施額を指定するのを止めてお任せにする
2、一件あたり60分以上はお勤めとお話しをする。
3、ボランティアをしよう
4、無縁さんを多く引き受けよう
5、世の中の役に立つ機関に定期的に寄付しよう。

早い話、お寺としてやることはやって、皆様には求めないようにしよう
という事を具体的にやっていこうという事です。
護寺会費等の寄付も頂きません。

もうそろそろ10年。あと10年で合計20年。
検証と言えばたいそうになりますが、
20年、資本主義の日本で維持ができれば
仏様っていらっしゃることが第三者への
証明に少しでもなるんじゃないのかなぁ〜・・
なんて思っています。

3年前に研修で海外の仏教寺院を訪れた時に
上記のようなことはなさっておられました。
あぁ7年やったことは間違いじゃなかったのかなぁ・・。
これもお導きだなぁ・・と変に納得して今に至ります。

今は 僕はそう思うという返答です。
あと10年で客観的にこういう事をしてても寺院は
残っていますので、
安心してください!いらっしゃいます!
と言おうと思っています。
(※元気な芸人さんも残ってればよいですね。)

仏に生かされ
人に生かされ
地球に生かされる。

その為には

仏に帰依し
人の為に汗を書き
地球の一部だと思う事なのでしょうか。

まだまだ思案は続きます。

皆様は自身の信じる事を人に伝える時
自分はこう思う。 と言うのは良いと思います。
自分は常 日頃から こうしてて、こうなったから
こう思う と言えておりますでしょうか。





posted by ぽこ at 10:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

信仰心と供養と自己満足

こんばんわ。智崇院 喜連川です。

僕はよく葬儀などで初めて出会った方に
「あぁうちの寺はお参りに来なさいということはありませんし
うちの檀家になれという事も一切ありません」とよく言います。

信仰心ってのは人から やーの やーの言われてやるものでは
ありません。

また形から入る人もいるかもですが、それはそれで入ってから
寺院なんかにはお参りに行けばよいんです。

人から提示されたハードルをクリアすることで一旦はそこに
居場所もあるでしょうが、そんなものは信仰でもなんでもありません。

よく言われるのが
「えっ そんな事 言ったらお寺さん食っていけませんやん」

「いや」を1万回ほど言いたくなります。

その話はおいといてっ。

なんで無理くり寺によばないか?なんですが
肝心なことが抜けてるんですよね。

故人を失う事で心に発生した喪失感は人により
様々でしょうけど、その喪失感は様々な手段で
埋め合わせることができます。

と言っても故人さんは故人さん。リアクションはありません。

なので・・・。
 ずーっと第三者に死を嘆くのも良いでしょう。
 ずーっと故人が大切にしていたものを共有するのも。
 ずーっと供養し続けることも。

故人の為に「これだけの事をしたっ」という自身を
納得させる言動が喪失感を時間薬より早く埋め合わせて
くれます。

そのうえで、第三者に嘆き続ける事・・。
自己承認欲求だけの話になるので
長時間になると聞き手も宗教者でもない限り
ネガティブになります。

故人が大切にしてたものを共有する・・・。
これも場合によっては様々なコストがかかります。

自己承認の欲求等第三者への影響も少なく
コストも少なく満足感をえやすいものが信仰心です。
自身が故人の穏やかな死後を願い、祈りの心を持つ。
そう想いの部分です。

死後の世界は無い!と思う方は故人の尊厳(生きた業績)
を思い返し、心の中で供に生きて行けば良いんです。
でもそれも想いの部分です。
(※供に想いを育む(養の意味))で供養になります。

なので信仰心がなくとも供養はできる訳です。

なので僕は言います。
「供養の心が備わった状態で仏の存在を否定せずに
一緒に仏さまにお願いをしようと思うならお寺に来て下さい
仏様を信じられなくても想いだけは忘れないようにして下さい」

別にええやないですか。
寺の門はいつでもあいてるわけですしね。

自分の心から
故人を敬い故人の尊厳を称えれば 
誰にも迷惑をかけずローコストで自身の喪失感を埋め合わせれます。
こんなに合理的な考え方があるなかで、寺院離れが進むのは
寺院が世間から見て合理的な存在になりえてないからなのでしょうね。

お寺は自己満足しちぁいけませんね!

皆様は 自惚れず満ち足りた生活を送って下さいね!

                  智崇院 喜連川

posted by ぽこ at 21:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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