2016年05月28日

いたわり

こんにちわ。智崇院 西成分院 喜連川です。

 ええ、なんとなく、平仮名で「いたわり」と書くと
板割りみたいで せいやっ!そいやっ!って想像して
しまいますね。 私だけでしょうか。

 ええ〜・・・・・ っと・・すいません。

労わる ですが、
ここでは、
「弱い立場にある人などに同情の気持ちをもって
親切に接する。気を配って大切に世話をする。」
と定義致しますね。

また、同情は
「他人の気持、特に苦悩を、自分のことのように
親身(しんみ)になって共に感じること」
とある様子です。

ええ、最近ですね、お年寄りを労わらない国
になったとよく耳にします。

言い換えれば弱い立場にいる人を労わらない国
になっているという話なのかもしれませんね。

妊婦さんや、体の不自由な方、ご高齢な方、
または特定の土地で情報不足から弱い立場になっている人
までさまざまな弱い立場と目される方が
いらっしゃる事と思います

何を弱い立場の人と定義するのかは百人いたら
百人とも定義は違うでしょうね。

少し余談になるのですが、
スーパー銭湯などにいきますと体の不自由な人の
為の駐車場枠があります。
コンビニ等にもよくありますね。

主観的な話で恐縮ですが
そんなとこにどう見ても困ってない方が
よく駐車なさっておられます。
まぁ見てて気分の良いものではありませんね。

このように社会的に提唱された労り部分に於いて
もこんなものな訳ですが、

個人的な身の回りでの優しさはどうなのでしょうかね。

個人的な見解と前置きしておきます。
色んな想像を働かせてみる訳ですが
電車が満席である状態で、お年寄りが電車の揺れに
翻弄さえながらも、一生懸命踏ん張っておられた。
この場合、結構な人が席をお譲りする事を考えられる
と思うんです。

同じく、電車が満席である状態で
買い物帰りのご老人がたくさん手荷物を持っておられて
座席の前で咳払いの上で席を譲れと高圧的に仰られた
場合、あまり席をお譲りしようと思う人は少ないのでは
ないかと思います。

つまり何が言いたいかと言うと、
弱者と言うのは人が相手に持つ認識であり、
自らが申告するものではないという事です。

そしてその弱者と認識した相手にどれほど同情的に
なれるかはその人の裁量の範囲であります。

故に、労われ!と強要されれば、もはや
その人にとっては弱者どころか脅迫者になって
しまいます。

個人的に思う事なのですが
弱者と認識される人は弱者を克服しようとする人
又は慎ましい人、自身の出来る事をそれなりに
頑張っている人等が認識されやすいのではないでしょうか。

あくまで一つの側面上の話ですが
労わられる側のお話を書いてみました。

                   智崇院 喜連川
posted by ぽこ at 14:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

継承

こんばんわ。ご無沙汰しております。
智崇院 西成分院 喜連川です。

いや〜・・・色々ありました。
いえ、色々中かもしれませんね。

滞っておりまして誠に申し訳ありません。

今回は継承について考えたいと思います。

人間は動物的側面と理性的な側面を
双方併せ持つ面倒な生き物でありますが、
その一見反発しうるであろう側面には
何個かの共通点があります。

代表的な例でいうと子を慈しむ心です。

個で捉えると 
いあいあ私の親はそんな事はなかったよ。
ええ、私の親は素晴らしい子煩悩でした。

色んな評価が分かれる事と思いますが
自身の子を歴代3代に渡って虐げる家系等が
あるのであればギネスものではないのでしょうか。

又は、親の器の中で精いっぱいの愛情を注いでいても
その子供との相性で子供は愛情を受けていないと思う
可能性もありますし、当たり前の事が多すぎて
愛情が愛情ととらえられない事象が時代的には
あるかもしれませんが、概ね、子を虐待する事が
大きな事件になる事を考えると子供に愛情を注がない事が
マイノリティーである事は明白だと考えられる。

だが、最近違和感を覚えることが続きます。
保育園に入れない人たちが立腹なさった話も記憶に
新しいですが、どこかの市では若い人たちや老人が
集まって子供を見てくれる!と言う話があって
なんとも素晴らしい企画だと持て囃されているご様子です。

解釈の一つなのですが、そんなに子供邪魔なのでしょうかね?
とも映ります。

働く事は総じて悪いとは思いません。
共働きもいろんな事情があるでしょう。
また国政もそのような方向性に舵を取っている事も
現実でしょうしね。

子供を育てるという事を機能化してませんかね?
その機能に自身の子供を預ける事は悪いとは言いません。

ですが、本来子供と共に過ごす時間を労働に充てて
自身の子供を機能化された組織に預けるのであれば
その分 子供に対して注意深く様々な洞察を行う
必要があるのではないでしょうか。

人は何かイベントがなくても共に過ごした時間の分だけ
言葉に言い表すことの出来ない信頼感を共有します。

共に過ごした時間の分だけ一緒にいるという事は
少なくともその間、相反する事が無かったからです。

もし共に過ごす時間が少なくても強烈な興味を
その少ない時間の間に示すことが出来れば
それはその分、双方の信頼感に繋がる事でしょう。

自身が受けた愛情なくとも自身は愛情を示すことが出来ます。
自身が愛情を受けたのであれば継承すべきでしょう。

自身が受けた愛情を気づく事が出来ないのであれば
自身にゆとりが無いのか、又は傲慢な性格を直された
方が良いでしょう。

なぜ傲慢なのか?って。
それはね、そう思ったあなたが一人で育ったからでは無い
からです。

なぜ直す必要があるのかって?
それはね、あなた自身にも因果応報は必ずきますが
子供もその因果応報に苦しむからです。

なぜ苦しむかって?
傲慢は人の心を見失う罪であり、人の心を見失う以上
あなたに誰も手を貸さなくなるからです。

無償の愛情は我があり過ぎては出来ません。
我が無さ過ぎては愛情を注ぎ続けれません。

自分を見失ってる人は 
その人への愛情の種類を理解できません。

傲慢な人は人からの愛情に気づけません。

適度に自身を大切に でもその自身を大切に
する事と等身大の感情が親愛ではないでしょうか。

あなたは子供の癖をいくつ知っていますか?
あなたは親の癖をいくつ知っていますか?
posted by ぽこ at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする