2015年10月26日

びんぼうにん

御無沙汰しておりまして、申し訳ありません。
智崇院西成分院 喜連川です。

うちの婆ちゃん、色々ありまして日々病院通いでした。
ブログ更新されず申し訳ありませんでした。

最近、貧乏人と言う言葉が非常に好きな今日この頃です。

一般的には財産や収入が少なくて生活が苦しいことと言う意味
ですが、個人的には悟りに向かってスタート地点に立つ者。そんな感じです。

貧しさ・乏しさから学べる事は本当の意味での裕福を知り得る機会
常にそう思うと僕は貧乏人であります。

白を知らずして黒を知る事は出来ませんし
明を知らずして暗を知る事は出来ません。

貧しさ・乏しさを知らなければ裕福を知る事が出来ません。

では裕福さとはなんでしょうか。

ここで言う貧乏人とはスタート地点に立つ者です。
裕福さとは自身は常にスタートに居る事を自覚できた時点で
余裕を身に着けその余裕が福を招く。

仏の教えからすれば僕らは スタートからゴール間際なんだと
思ったところで 実はスタートから動けていない。と言う事
なんです。

経済的に裕福になってもそれは仮初めの裕福でしかありません。

大きな家を購入しても中に住む家族の心が荒んでいれば
そんなものは大きな箱にしかならず

良い豪華なお墓や仏壇を購入したところで
拝む者の心が荒んでいれば ただだのイミテーションでしかない。

その心の荒みは自身の驕りからくるものです。
その驕りは自身の慢心からくるものです。
その慢心は自身の立ち位置を見失う事からきます。

自身の五感を鋭く正しく機能させ、現状を把握し
現実生活を悟り(真の裕福)へ向かっていく知恵
これを成所作智と言います。

貧乏人代表!として常にスタートに居るつもりとして
ボチボチ行きたいと思います。

一緒に貧乏人しませんか?


posted by ぽこ at 21:38| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
テーマが難しいですね、というより伝えたい本質の部分を敢えて『貧乏人』と比喩するところに抵抗があるのでしょうか。
等々・・・感想です。
Posted by 龍 at 2015年10月31日 11:03
龍さん
コメント有難う御座います^^
祖母の状況も安定しお蔭様でブログも
見れるようになりました!

日本が好きな平均社会。
心の平均的な要素が常識と呼ばれて
いるのでしょうか。と感じます。

では貪欲さを知らずして貪欲の危うさを
学ぶ事等は出来ないのかなぁ。

そんな事を考えて書いたブログでした。

過激な表現でしたでしょうかね><
Posted by 一 at 2015年11月17日 12:06
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