2017年08月04日

こんばんわ。智崇院 西成分院喜連川です。

ひと昔前、ペット供養が宗教行事にならず課税対象になったと言う話は
一部の間では有名な話です。

実はこのペット供養の裁判 私の知ってる範囲では2つあるんです。

一つは 名古屋からの最高裁(ここでは名古屋訴訟とします)
もう一つは回向院訴訟

この二つの訴訟。名古屋訴訟は課税判決、回向院訴訟は非課税判決なんです。
その理由の一つとして「対価性」を挙げています。

ペットの供養だから課税非課税と言う議論部分とは別に
「布施の形態が対価性がある」と認定されたのが名古屋訴訟と言う事です。

この布施の対価性とは 〜〜は幾らの布施額と言う説明は
布施の精神じゃないよね?と言うのが概要です。

これが たまたまペットの関係だからこういうズバッと切り込んだ
判例を出せるんだけど、これ判決文をよく読んだら宗教性に言及しているので
ペット云々関係なしにこの判例って一人歩きする可能性があるんですよね。

以下は持論です。

調べれば色々乗っている事なので細部は書きませんが
布施って別に現金じゃなくても問題ないです。
(※そもそも役務や現金を提供する事に意味をなすものでもありません)
布施って出せと言われて出すものじゃありません。

と言うのが大前提にある中で

流動性が高い通貨を布施として納めれば何かとお寺さんも助かる事でしょう
と言う優しさを持って信心、合掌頂いた方が本尊様に納めて頂くもの

と言う優しさを経由して

いつの間にか 対価性を持ち寺院側から強要すべきものになってしまったのは
なぜなんでしょうか。

前回、書いた内容ですが
優しい人ですよね!と言うのは評価です。自分で「私は優しいですよ」と
言っても何の説得力も無い形容詞です。

7月にあるご住職とお話をしました。
私はお酒も遊びもしません。それは僧侶としてのプライドです。
と仰いました。

そんなご住職であれば 付き合えば付き合う程 周囲の人は有難い御仁と
感じ、そのお寺も有難いと感じて行かれる事だと思うんです。

「宗教が有難いもの」と感じ、その日を心豊かに過ごして頂けるようになり
より、宗教が生活の一部になっていく使命を果たせば、お布施は求めずとも
寺院は成り立つものですし、また成り立たないと道理が合わない。

皆様には陥ってほしくないポイントです。

世間の言葉に直しましょう。
周囲に認められる仕事もしていないのに、
自身が望む環境にならないのは、
周囲が悪いからだと言う方と近い理論だと言う事です。

人さまに 認めろと言う事は
「人さまに認めて頂くだけの苦労が足りない」事を自覚するべきである。

人さまの 自発性を強要すると言う事は
「人さまに助けれられている」事を自覚するべきである。

自身が上手く行かず苦しむ事は
「自身の努力が足りないだけである」事を自覚するべきである。

生善説の言う環境構築を自身で行う際に上記3つを留意頂けるだけでも
色々捗るかと思いご紹介させて頂きます。

皆様は どれだけの形容詞で第三者から形容されますか。
願わくば 自身の思う形容詞とリンクしますように。

                智崇院 喜連川 拝

posted by ぽこ at 22:58| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
難しいけど…
何となく、理解できたし、共感しました
Posted by やまけん at 2017年08月05日 09:48
やまけんさん
人生を送られるうえで色々な
シーンに遭遇する事があります。
その時に思い出して頂ければ嬉しいです!
Posted by 一 at 2017年08月10日 22:15
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