2017年12月18日

がくもん と げんば

こんばんわ。智崇院 喜連川です。

うちの名前「ちそういん」で 東寺真言宗なのですが
どっかの勝手に上がってるホームページでは
「ちすういん」で高野山真言宗になっています。
吉本芸人様の ちぃーすぅーたろかー
を思い出したのは私だけでしょうか。
ええ、困ったものです。この場できちんと否定しておきますね。

さてさて、この間 お坊さんの勉強会がありまして
宗教学の権威である先生のお話を伺うことが出来ました。

宗教史学は 史実に基づいてお話をなさるだけように聞こえますが、
宗教学はその学び手に対して、史実を踏まえどのように信仰に結びついていくのかという
一般市民目線での宗教ように解釈してます。

したがってこの宗教学からは なにを 宗教的に一般だと思えば良いのかという
ある程度のラインを読み解く事または思慮する上に於いて参考になります。

この宗教学から示される 現代の日本仏教が持つジレンマは非常に味方に
よっては愉快なものであります。

その特権から まぁ良いのではないでしょうか。とされた なぁなぁの部分と
言うのが学問と言う割り切った世界から見るとダメでしょ。と言われてしまう
訳なのですから。

そんなダメ出しの連続のような講義を聞くわけですので、個人的には
すさまじく参考になる訳です。

至極シンプルな話な訳です。
 どんだけ仕事を頑張っても会社から認められない人がいました。
 その人が認められない理由は明確にあります。

 さて どうしましょ?
 簡単な事ですよね。ほんとんどの方がその理由を知りたがる事でしょう。

 さてその次が問題です。
 その理由を聞いて 何に言ってるのかわかりませんが言い訳を続ける人は
 そこで終わりな訳です。

 その理由を聞いて、評価されない理由を受け入れる人は 評価されるように
 なるわけです。

んじゃ受け入れて改善するだけで良いんです。
 ダメな事はダメだった。なら改善すれば良い。
 叱られた。 なら改善すれば良い。
 
ずーっと先生の講演を聞きながら何を改善すべきなのか。
何が足らないのか。何なら出来るのか。を考えながら。

その思考から次に移ります。対象は何?
自分と答える事は一見仏教らしくもありますが小乗的なのかもです。
なら自分含めた皆様と考えると、少ししっくりきます。

現場で日々過ごすと いつの間にか偏った考えを持っているようです。
学問はそれを補正してくれるのでしょうね。
マーケティングのようなものですかね、

学問ばかりでもダメですし、現場ばかりでもダメですが、
バランスよく進む事なのでしょうかね。

今回は独り言のようなブログになってしまってますかね。
実りおおき日でした。ありがとうございました。

活かしていこうと思います。



posted by ぽこ at 01:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。