2018年01月04日

謹賀新年

 明けましておめでとう御座います。智崇院 喜連川です。
なんでしょうか、あまり気力がありません(笑

昨年を振り返ってみて よく思った事は
自身の行動の押し売り ですかね。

お陰様で法話のパターンが一つ増えたのでそういう
意味ではお礼を言わなければなりませんかね。

自身の行動をなぞらえて人の一定の行動を要求する人
と言うんでしょうか。

私がこれをやったのだから あなたはこれをするべきだ論(笑
この論調をぶん回された日には思わず「ごめん ちょっと意味がわからない」
と思う訳です。

そんな契約や約束事もなんにもない中で私は
そんなもの究極の後付けやん(笑 と思ってしまう訳です。

で 落ちがあります。 身に覚えないの事を勝手にやられて
対価を求められても困ることを説明すると決まって言われる言葉は
人情が無い。優しくない です。

自身が相手にどれだけの期待値をもとうが勝手なのですが、
そういう人に限って自身の期待値には答えないというところが
また憎い(笑

そのような人を 総じて私は生き地獄な人と呼んでいます。
上記の例のように自身が自身を永久に苦しめている典型的なタイプです。

八大地獄で考えてみると
無間地獄と言うのでしょうか、
2000年もの間 落下続けた後、一番きつい地獄の刑罰が待っていると言いますね、

落下続けている間 いろんなものにすがりつきたくて
あがき もがき続けているようにも見えます。

悲しい人なのかもしれませんね。
目先の利益に縛られ、人を軽んじ、詭弁を弄して 小善を守る。

そう思うと今年はもっと自身の言動に注意を払ってみようと
思います。

知らないうちに常識や礼儀と言う名のもとで色んな縛りで人を
見てきている部分があると思います。
今年、少しでもそういうものを減らすことが出来ればなぁ・・と
想いながら過ごしてみようと思います。

皆様にとっても本年もご多幸な一年でありますように。
posted by ぽこ at 20:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

がくもん と げんば

こんばんわ。智崇院 喜連川です。

うちの名前「ちそういん」で 東寺真言宗なのですが
どっかの勝手に上がってるホームページでは
「ちすういん」で高野山真言宗になっています。
吉本芸人様の ちぃーすぅーたろかー
を思い出したのは私だけでしょうか。
ええ、困ったものです。この場できちんと否定しておきますね。

さてさて、この間 お坊さんの勉強会がありまして
宗教学の権威である先生のお話を伺うことが出来ました。

宗教史学は 史実に基づいてお話をなさるだけように聞こえますが、
宗教学はその学び手に対して、史実を踏まえどのように信仰に結びついていくのかという
一般市民目線での宗教ように解釈してます。

したがってこの宗教学からは なにを 宗教的に一般だと思えば良いのかという
ある程度のラインを読み解く事または思慮する上に於いて参考になります。

この宗教学から示される 現代の日本仏教が持つジレンマは非常に味方に
よっては愉快なものであります。

その特権から まぁ良いのではないでしょうか。とされた なぁなぁの部分と
言うのが学問と言う割り切った世界から見るとダメでしょ。と言われてしまう
訳なのですから。

そんなダメ出しの連続のような講義を聞くわけですので、個人的には
すさまじく参考になる訳です。

至極シンプルな話な訳です。
 どんだけ仕事を頑張っても会社から認められない人がいました。
 その人が認められない理由は明確にあります。

 さて どうしましょ?
 簡単な事ですよね。ほんとんどの方がその理由を知りたがる事でしょう。

 さてその次が問題です。
 その理由を聞いて 何に言ってるのかわかりませんが言い訳を続ける人は
 そこで終わりな訳です。

 その理由を聞いて、評価されない理由を受け入れる人は 評価されるように
 なるわけです。

んじゃ受け入れて改善するだけで良いんです。
 ダメな事はダメだった。なら改善すれば良い。
 叱られた。 なら改善すれば良い。
 
ずーっと先生の講演を聞きながら何を改善すべきなのか。
何が足らないのか。何なら出来るのか。を考えながら。

その思考から次に移ります。対象は何?
自分と答える事は一見仏教らしくもありますが小乗的なのかもです。
なら自分含めた皆様と考えると、少ししっくりきます。

現場で日々過ごすと いつの間にか偏った考えを持っているようです。
学問はそれを補正してくれるのでしょうね。
マーケティングのようなものですかね、

学問ばかりでもダメですし、現場ばかりでもダメですが、
バランスよく進む事なのでしょうかね。

今回は独り言のようなブログになってしまってますかね。
実りおおき日でした。ありがとうございました。

活かしていこうと思います。



posted by ぽこ at 01:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

そびえたつもの

こんばんわ。智崇院 喜連川です。

 西成で掃除なんかしているとよくお酒を飲んだ
ご機嫌なおっちゃんに話しかけられるのですが
初めは お酒も手伝って陽気なおっちゃんも
故郷の話をなさっておられるうちにいつの間にか
泣きながら望郷の念を漏らして帰られます。

 なぜ帰らないんですか?お酒ちょっと我慢して
貯金したら帰れるのでは?と聞くと大抵のご返事は

「帰っても合わせる顔もなく 居場所も無い」との事。
どうやら無邪気にごめんね〜!と謝ってすむ事情では無いご様子。

これに近い話もよくある。
喧嘩別れした相手の事を色々考えすぎて合うのが億劫になって
しまっているとか。
普段よく遊びに行ってた場所に行かなくなり、顔を出しにくくなったとか。

不安って面白いものですよね。
西成のおっちゃんが故郷に帰るのも そら不安でしょう。
喧嘩別れの人とどうやって合うのか、そら不安でしょう。
いきなり会わなくなった人とまた会うのもそら不安でしょう。
テストの点数が悪くて〜
習い事が上手くいかなくて〜
嫌いな人が自分の仲の良い人と〜

人間って生きていれば、不安な事なんて山のように
あるんですよね。

病気とか命に関る事以外の不安ってのは、大抵なんとか
なるもんですが、不安と思っている当の本人は時間に比例して
その不安というのは富士山の如くそびえたっていくのでしょうね。

なんとかなるのにね。 でもなんともならないと思ったら
当面の間、逃げちゃって様子を伺ってみるのもいいかもなんです。

一番ダメなのは自分で どんどん不安をそびえたたせてしまって
収拾がつかなくなる事です。気が付けばエベレストより大きな不安に
育ってしまえば、下手すればノイローゼ―になったります。

なので もう一度書くのですが、
「なんとかなりますって。 でもなんともならないと思ったら
当面の間、逃げちゃって様子を伺ってね。」

親父が酔っぱらいながら親字づらして私に言ったことがあります。
 山なんて登るまでしんどいけど、登ってしまえば
 さほど大したことないわ!

そういう親父様の後始末ばかりをしておりますが、なるほど
良いことを言う「だけ」は言います。このおやじ。
流石は自称社会大学主席ではあります。

皆さん。考える事は すごーく大事な事ですよ。
ですが、考えすぎて 実態とかけ離れた不安を抱える事は
妄想と大して変わりません。

行動と思慮のバランスを大事にしてくださいな。

もうすぐクリスマスですね。今年もサンタさんはそんな不安など
考える暇もなく走り回られる事でしょう。

もし暇人しているなら忙しくしている人を手伝ってみましょう。

サンタさんが貴方・貴女にも微笑んでくれるかもですね。




posted by ぽこ at 22:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする