リレーションシップとはデータベース同士を結びつける事です。
はい???????????????????
って話ですよね(笑
ええ、昨日 夜中の11時前までおじさんの話を
貪るように聞いていました。質問も沢山しました。
本当に面白く楽しい時間でした。
親父の主観から聞いていた 喜連川史実と
おじさんから聞く 喜連川史実
微妙に違うんですよね。
そりゃそうでしょう。人には主観がありますし、
家の史実などは 意識して努めて客観的に考える
ものでもないのでしょう。
じゃぁ、夫婦喧嘩も 友達同士の喧嘩も組織内の喧騒も
同じことが言えるのかもしれませんね。
主観と言うものは非常に面白く、一つの世界観を形成します。
これが良くできた御仁であればあるほど、壮大な世界観を持つ
訳ですが、面白いのはその壮大な世界観は俯瞰的ではないと言う事です。
俯瞰とは客観的に全体像をとらえると言う意味で今は引用しておりますが、
論文のような広大な世界観を持ってる人もある意味退屈な人間なのかも
しれませんね(笑
何が言いたいか。
ある史実を知りたいなら出演者全員の主観を集めなければ
「ある程度」完成された史実は見えてこないと言う事です。
余談ですが、
私の叔父は非常に優秀な人と改めて実感したのは
客観的に色んな視点から慎重に史実を話されていた事でした。
本当に一つの言葉を慎重に選んで話をしていましたねぇ。
伝える事の難しさを凄く伝えて頂けました。
いろーんな喧騒にせよ、
その喧騒の本質を知ろうと思うなら、その喧騒に関わったある一定
数の方々の意見を聞く迄、その喧騒への評価意見は慎重に行わなければ
ならないと言う事でしょうか。
10人いたら
10人の情報量(データベースとしましょうか)を
色んな価値観を投げかけて情報を集め、結合させていき、
一つの世界観を形成させなければならないと言う事です。
ただここで愉快に感じる、 うーんこれが仏の試練なのかなぁ
と思う点は
「色んな価値観を投げかけて情報を集め、結合させていき」
の部分が 結局はその人の主観になる恐れがあると言う事ですよね笑
その時にこの「色んな価値観を投げかけて」の部分が
どれほどの大項目的な見解で解釈出来るかにかかっているのでしょうね。
これが小さい事象での価値観で情報を集めると統制が取れる
情報体を形成できなくなるのでしょうね。
そのような意味で考えると大局的に情報を結び付け、
丁寧にミクロに落とし込んでいく事が出来るか否かなのでしょうか。
皆様は 喧騒に合う
参加する
巻き込まれる
喧騒の当事者になる。
そんなときに 自身の判断する基準を何に持ちますか?
その情報量に注目していますか?
その情報量が少なく喧騒と対峙すると言う事は
法律も知らない中で裁判に関わるようなものです。
食事の内容も知らずにレストランに入るようなものです。
内容も知らないゲームを購入するようなものです。
うーん
自身の服のサイズも知らないのに服を買いに行くようなものです。
(もういいか笑)
自惚れないようにくださいな。
あなたの知り得る情報量等は所詮一人の情報でしかないと言う事を。
と叔父さんに教わりました。
ありがとう。叔父さん。
ありがとう。みなさま。
喜連川 拝
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